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芸大を出たら待ち受けるもの

芸術というのは、社会の中で持つ価値が大いに低い、と、多くの人に思われてしまっている。多くの職業が「社会の役に立つ」ことが前提で成立している(少なくとも、建前としては。ここ数十年は、広告によって「社会の役に立つ」と思わせてきたものも多い)。しかし、近代の芸術は自己の内面を追求していくことがもっとも重要な要素となっており、根本的な部分で、「社会の役に立つ」ことから分離してしまっている。 
現代日本では、大部分の人たちが、「社会の役に立つ」ために、自分自身をなんらかの犠牲にしながら労働をしている。自分のために使うことのできる時間などほとんど無い状態だ。朝から晩まで仕事をしていれば、「趣味」に費やす時間も余力もどんどんなくなってくる。そんな人間が大半の世の中で、「自分の考えていることを表現する」という考え方自体が、根本的に非常に我が侭に見えてしまうのである。 
私自身美術の世界にもう10年以上いるが、美術の世界の中で生きている人間は、本当に、自分のことしか考えられていないことがかなり多い。社会のこと、つまり、自分以外のみんながどのような生活を送り、この社会がどのような流れで進んでいるのかということに、ほとんど注目しようとしない。中には、自分の作品を大切にする一方で、他人の作品を粗末に扱うあきれた奴もいる。 
美術の世界というのは、芸能人の世界と同じで、自分自身の魅力を高めることで社会(他の人)に注目してもらい、そこから生じる希少価値を配分されることで食いつないでいく世界だ。本来が、「大学」といったような、社会的な機関で要請されるべきものじゃない。 
自分自身がどれだけ強くいられるか、で、その人の「アーティスト」としての価値が決まってくるのに、「国(=社会)が美術/芸術大学に金を使う」ということ自体が本来はおかしい。芸能人養成所を国が作ったら、一般人がそれに納得するとでも思うのだろうか? 
ただし、そのような「芸術が社会の役に立っていない」と思わせてしまう状況を作り出しているのは、その世界の中にいる人間(つまり、アーティストやデザイナーなど)自身の責任であり、「芸術=社会の役に立たない」というのは、少し違う。 
色と形に関しての価値を最大に高められる人間は、常に大きな魅力を持ち合わせている。しかし、社会を構成する数多くの人間に対してその魅力と価値を伝えることができていないのだとしたら、その原因は、魅力と価値を伝えることができない作品しか作ってこなかった「人」にある。 
美術が社会的に持ち合わせている価値が低いのではなく、美術が本来持ち合わせている大きな価値を、「人」が、貶めてしまったのだ。 
人類が今まで百年単位で築き上げてきた価値観のうちの一つが、大きく変化しようとしている。アメリカは衰退し、ギリシャは崩壊し、スペインやポルトガルが更なる崩壊の引き金を引くのではないかとEU全体が怯え、中国は築き上げた建前に中身が伴わないことに悶々とし、日本は政治と経済の閉塞感に疲れ切ってしまっている。 
今、社会全体に余裕がない。そんな時代に、社会の大多数の人間(美術に携わらない人間)に対して、美術の世界が大きな魅力と価値を認めさせていくことができないのだとしたら、社会全体が、美術の世界に背を向けてしまうかもしれない。それを防ぐためには、美術に携わる人間が、社会に頼り切りになるのではなく、自らその価値と魅力をアピールし、社会に自分たちの価値を認めさせるだけの力を、つけていかなければならない。
2010.06.01